生死を分けるもの

こんにちわ。
最近ふと思うことがあります。
今日はそのことについて、書きます。

 

 

ドラマで見る食卓の風景で
「話をしないで食べなさい」
と子供に注意するシーンがあります。
いま思えば、あれは理に適っているわけです。

食べる時は食べる。
話をしたいなら食べ終えたらすぐマスクをして、食事と会話にはメリハリをつける。
それは、今の世の中で生死を分ける大事なお作法です。

そして私は、
「生死を分けることのひとつに、『お育ち』があるんじゃないの?」
と昨日から特に思っているのです。

「お育ちが悪い」と自認してきた私ですが、それは母が可哀想。
親は注意しても人の言うことをきかなかった私です。
大人になって何十年も経ったいま
「お育ち」
という言葉を使うのは間違ってはおります。

私は、箸の持ち方も鉛筆の持ち方も、全てNGです。
一人の時は誰にも見られていないのをいいことに、「あかん飯」をとんでもない食べ方で食べています。
全て、直そうと思えば直るのです。
だから親のせいとかではないけれど、一言でわかりやすいのは
「お育ちが悪い」
という表現です。

 

 

なぜそんなことを私は気にしているのか。
私は昨日車の中でパンを食べていて、バッグのチャック脇に落ちたコーン一粒を咄嗟に拾って口に入れたのです。

10秒後に、気づきました。
やべー。一番汚ないところに落ちたものを食べてしまった。

あのコーン一粒が幾らだったというのだ。
パンが110円だったとして購入額から勝手に計算して1円くらいの価値じゃないの?

やれ混んでいる交通機関が怖いからタクシーだ、
だの、
食事処が怖いからルームサービスだ、
だの言っている私が、何やってるのん?
2週間後に病気になって調査を受けたら、
「8月2日に、バッグに落ちた惣菜パンのコーンを拾って食べました」
って白状するの?

あーもう、と、頭を抱えております。

普段からきちんとしていないから、こうなるわけです。

「誰が見ていなくても、神が見ているのだ。」

その神は、自分自身でもいいわけです。

 

 

普段からきちんと生きてるって、大事よね。

改めてそう思った本日でした。

そして、友人のおばあちゃんを思い出しました。
朝起きて自分で布団をたたんでから逝かれたそうです。
おばあちゃんの名言は、

「自堕落はダメ」。

ああ、もう~、あたしったらーm(_ _;m)三(m;_ _)m。