バリアフリーについて考えてみました

昨日、母が普段使わない道程の目的地へ、一緒に歩く機会がありました。
ほとんど初めてに近いルートを一人で行く予定でしたので、
「あの駅はエレベーターはあるのかしら」
などと数日前から不安そうでした。
たまたま付き添える日程とわかりましたので同行して、併せてバリアフリーについて考えてみました。

 

 

■チャージ用自販機にて
母は出かける前からチャージの仕方を気にしていました。
最寄り駅で、まず私が自分のSuicaへチャージをして母にやり方を見せてから、あとは自分でやってみてもらいました。

そこで一番驚いたのは、お札を入れる場所が見えないということでした。
確かに、お札の挿入口の周りが広く真っ黒で、突起や穴の区別は付きにくいのです。
正解の場所から1センチくらい上にお札を押し付けるのを見て、
「そういうことか」
「挿入口の周りが光ればわかるのか?どうすればわかるのか?」

などと考えました。

■ホームの先まで平面に見える
ホームは高齢者と酔っ払いが落ちやすいと聞いていました。
私もちょっと意識を変えて、知らない場所にいる体で周囲をぼんやり見てみたら、ホームの際がわかりにくい気がしました。
その先の色が違うにも関わらずです。

念のために母に
「ホームがどこまであるか見える?」
と聞くと、
「私には向こうまで一面一緒に見える」
と言われてショックを受けました。

普通に歩いていたら、落ちます。

とりあえず黄色い線で止まればいいわねと言われて、そのとおりと答えました。
またもや、
「際(キワ)が光ればいいのか?」
などと考えてしまいました。

■優先席の「憂鬱」
私はこの日、平日の昼ながら電車は意外と座れないのでは?と心配していました。
電車に乗ったらまず母を優先席に座らせて、自分は向かいの通常席に座りました。
まず、これがショックでした。

「ん?私はなぜこんな判断をしたの???」

通常席にも二人で並んで座ることができる程度に席は空いていたのです。
それも、杖をつく高齢者の母を座らせた優先席は、扉から一番遠い席です。
バリバリに自己嫌悪です。

私は瞬時に、
「優先席に座る権利のある状況だから」
「優先席に座るべきではない人の座席を母が占有するすると、優先席に座るべきではない人の席が一つなくなるから」

みたいなことを考えていたのかもしれません。
堂々と胸を張って普通の席に並んで座ればよかったではないかと、暗い気持ちになりました。
そしてそんな気持ちになったことを、母の向かいの席に座ってスマホにメモしていたのでした。

■優先席の「目からウロコ」
私達が降りる駅は、終点ではありません。
つまり、速やかに降りず運転手さんに気づかれないと、ドアが閉まります。
うちの母はバスには慣れていますが電車はほとんど乗りません。
バスなら運転手さんが直近で見守ってくれますが、電車はそうはいかないのです。

「修学旅行に行く前には電車の乗り降りを練習する」という学校があります。
新幹線の短い停車時間内に学生さんたちが速やかに乗り降りしないと、電車が遅延してしまいます。大変なことです。
この乗り降りの練習は、実は大事な準備です。

初めて聞いたときにこれを笑い話として捉えていた私にも、今回はその大事さが身に沁みました。
乗車してしばらくして、大きな懸念に気づいたのです。

うちの母は停車時間内に電車を降りられるのか?

そして思ったことがあります。

「優先席って数人分まとめてシートになっているけど、ドアの直近の4席も色を変えて優先席にしたほうがいいんじゃないか?」

「満員電車でドア直近4席がポカっと空くのも変なので(多分空かないけど)、飛行機でいうところの非常扉座席のようなスタンスをお願いする席はどうかしら。
『この席に座る方は本やスマートフォンに集中されることなく周りに気を配っていただき、立っているのが困難そうなお客様が乗車されるのに気づかれましたら席を譲っていただければ幸いです』
みたいな。」

そんな面倒なことよりも、当事者が早めに降車の準備をすればいいんじゃないの?、といわれそうですがそう簡単でもなさそうです。
そもそも普通でも移動が大変なところを、動く電車の中で降車準備のために早めに立ち上がっちゃったら、慣れない振動と安定しない足腰でもうアウトです。

今回は、目的地の少し前の人が多く降りる駅に停車したときに母に手で「コイコイ」と合図して、早めにドアの近くに移動させました。
そんなこんなで、目的の駅ではなんとかスムーズに降りることができました。

■えっ、そんなとこまで?
役所のビルは古く、母から
「床がツルツルでこわいわねえ」
という言葉がでました。
言われてみれば確かにつるつると光っています。
その立場になってみなければわからない深い不安の数々を、ほんの少し共有しただけで大きなため息がでそうでした。

 

 

ところで最近、千葉都市モノレールの駅でゼッケンをつけたナゾの男女を見かけます。JR千葉駅でも、駅員さんではないスタッフさんがホームにいます。
モノレール駅ではこの方がマイクで車両の入線や転落への注意喚起のアナウンスもされていました。
以前に、その方がちょっと空いた様子を見て、
「ボランティアさんなんですか?」
と伺うと
「パートなんです」
とのお返事がありました。

千葉都市モノレールの駅では、転落事故が多いとききます。
ホームの下は数十センチの段差になっていて、高齢者の方などは珍しいからとつい前へ進んでうっかり落ちることもあるそうです。
若い方なら、落ちてもケガがなければ
「あらあら、あたしったら恥ずかしいわ」
とか頭をかきながらヒョイと上がれるかもしれませんが、高齢者の方の場合は特に大変なことになります。
以前の接触事故のニュースで読んだところでは、モノレールがホームに入った場合の車両と床の隙間は40センチしかないそうです。

こうしてパートさんをお願いしてまで目を配っていただけるのは嬉しいことです。
しかしモノレール駅の多くは無人駅であり、すべての環境に万全を求めるのは無理というものです。

 

 

用事を済ませて最寄り駅に戻りました。
母は、私が駆られている不安を読みとったらしく、帰りの電車では降車前に扉近くの席に移動をしてポールを握りしめていました。
彼女は速やかに降りる気満々で、果たしてそれは成功したのでした。

エレベーターで駅を降り、母と二人で家への道を歩きました。
そういえば出がけに母が、
「帽子をかぶってマスクをしたら足元しか見えない」
と言っていました。

「ねえねえ、杖をどこについてるか、見えてるの?」
「全然見えないねえ」
「じゃあ、杖の先が穴に入ったりするんじゃないの?」
「そうなのよねえ」

そうなんだ!(@_@)
このバカ娘は、今頃そんなことを知るのでした。

その道では、前からゲームをしながら歩いてくる少年にぶつかりそうにもなりました。

高齢者の目線で見ると、街には危険や不安がいっぱいあることがわかりました。
繰り返しになりますが、環境を万全にするのは不可能です。
杖が刺さるかもしれないすべての穴を塞ぐことはできないのです。

先に、「バスの運転手さんなら見守ってくれるけど」と書きました。
しかしその運転手さんも、一方では定時運行遵守のために駆られる気持ちに耐えておられることと思います。

バリアフリーって、手すりだけじゃない、スロープだけじゃないんじゃないか?。
環境の整備というハードウェアの面だけでなく、母も含めたすべての人の意識、自覚というソフトウェアの面も、よりクローズアップされたらいいなあ。
みんなが幸せになる、バランスのいいバリアフリーが進んだらいいなあと思いました。

個人一人ひとりが、サービスのスタッフさんが、経営者さんが、政治家さんが、全員が「それぞれができる範囲でのほんの少しの努力」をできたらいいなあ。
そしてまずは自分が、日々の生活の中で意識してみたいと思います。

浅い考えからの抽象的な結論で恐縮ですm(_ _)m。
上記を書き終わってから「バリアフリーとは」と検索してみました。
バリア(障壁)がフリーになる(なくなる)、というテーマに合っているのかがわかりませんが、今日の数時間で感じたことをまとめてみました。
今回もここまでお読みいただいて、ありがとうございました。