カキンゼーになった私〜ピクミンブルーム

こんにちは。
今日の話は、スマホゲームの
「ピクミンブルーム」
のことです。

 

 

カキンゼーとはなんでしょう。
マッキンゼーではありません。
課金勢です。
ついに、スマホゲームの「ピクミンブルーム」に課金をするようになりました。
それも自然に。
自分が驚いたわ。
やられた。

ピクミンブルームを使っているうちに、お出かけ先で見つけた果物や苗をとりに、ピクミンをおつかいに出せるようになりました。
これがカワイイの。
しかし、この苗を持つにあたり数の上限があります。
その上限を上げるアップデート料を、するっと払ってしまいました。

私は当初このブログを始めるときに
「人に信頼してもらいたい」
と思っていたのに、結局ここでダメ人間ぶりを世界に晒しております。
競輪にハマったあとはゲーム課金です。

そうして私は今、課金用にGoogle play用のカードを購入しなければと思っているところです。
どれだけピクミンにつぎ込むつもりなのか。

普通の人はうまくやりくりして、ピクミンをお使いに出す回数を調整してスマートに遊んでいることでしょう。
普通ではない私の元にあるのは何なんだろう。
3次元にいるくまモンから、ついには2次元のピクミンに貢ぎます。

 

今朝ツイッターで検索していたら、
「スマホアプリのほうのピクミンは優しい世界観で、ピクミンが死なない」
というツイートを見つけました。

え、Switchとかのピクミンって、死ぬの?(泣)

2〜3週間前だったか、
「液晶の中のピクミンがこんなに可愛いなら、戦いも我慢してSwitchのピクミンを買おうかな」
と思いました。
Switchで調べたら試用版があったのでダウンロードしたら、美しい映像にピクミンたちは可愛らしく、
「これはステキ」
と思いました。
しかし、プレイしているうちに、ピクミンを投げなければいけなくなり違和感を感じました。
そして放置していたのです。

死ぬんかい。

やはり、Switch版は私は永久に買いません。

単にピクミンとお散歩したい。
その欲求に気がついたタイミングでこのアプリが出て、よかったよかった。

そして私は思い出しました。
ピクミンには歌があったはず。
検索してみて、歌詞を読んで泣けました。

引っこ抜かれて、あなただけについて行く
今日も運ぶ、戦う、増える、そして食べられる

(中略)

力合わせて、戦って、食べられて
でも私たちあなたに従い尽くします

立ち向かって、黙って、ついてって
でも私たち愛してくれとは言わないよ

薬師丸ひろ子さんの名曲
「Wの悲劇」
にも通じる物悲しさです。

もう愛せないと言うのなら
友だちでもかまわないわ

そして

行かないで そばにいて
おとなしくしてるから

ユーミンの「ナビゲイター」では

私のことがわずらわしいときは
少しラジオを 大きくして

完全な片思い、もしくは少しだけ片思い。
それらは、「完全な両思い」よりも多いはずです。

先に歌詞をあげたピクミンの
「愛のうた」
もピクミンたちの片思いの歌に思えてきました。

ピクミンブルームのピクミンたちは、お使いから戻って果実や苗を渡すときにうやうやしく私の前に進んで
「どうぞ」
と差し出します。

私がピクミンに自分を投影しているなら、
「ピクミンが産まれる苗を、捨てられず有料で許容量を増やすそうとする」
のはわかる気がします。
いや、無駄遣いを正当化するなや、って話ではありますが。

 

 

今日も私はピクミンと行動を共にし、2つ並んでいる大きな花に見とれながらスキップしました。

刹那的に生きとるなあ、と反省しつつ、また一日が過ぎていきます。

ではまた。