【ゆりやん編】奈良と京都で気になること(その1)

2018年の私は、個人的に歴史ブームでした。
そのため、奈良、京都については気になることが多かったのですが、古都は奥深くてなかなかここにかけませんでした。
そこで、「気になること」を小出しにご紹介することにしました。
今回は、奈良出身の「ゆりやんレトリィバァ」さんのことが気になっているのでご紹介します。

 

 

「ゆりやんさん」というよりは、愛をこめて「ゆりやん」と呼ばせていただきます。
ゆりやんは、奈良県吉野郡吉野町国栖出身です。
「国栖」は「くず」と読みます。

先日もテレビの「どんな芸人さんも地元なら人気ナンバーワン」といった企画で取り上げられていました、
地元の国栖で1位にはなったものの、投票数が約50%だったことにショックを受けて、もっと精進せねばといった意味のことを言っていました(うろ覚えですみません)。
それを見て、真面目な「ゆりやん」らしいなあと感じました。

ここ数年、何の気なしにテレビを見ていると、ゆりやんに驚かされることが多くありました。

「えっ、ピアノ弾けるの?」

「えっ、書道そんなにうまいの?」

「えっ、英語うまいの?」

「えっ、NSCを首席で出てるの?」

「えっ、関西大学出身なの?」

「えっ、新境地で昭和の女優さんとかやっちゃうの?」

「ダンスも少林寺拳法もできるの?」

など、その情報の一つ一つにびっくりしました。

一番びっくりしたのが、テレビの里帰りのシーンでした。
吉野町国栖在住のお父さまが
「そんな派手な格好で帰ってこないように」
というようなことを仰ったのです。
それを見て私は、
「ゆりやんは芸能人で地元でも有名でしょうに、それでも派手な服装は許されないのかしら?」
と意外に感じました。

その後私は歴史マンガを読み、ゆりやんの地元が特別な場所と気づきました。
「吉野町」は、大海人皇子(天武天皇)による壬申の乱の旗上げの地であり、後醍醐天皇が朝廷を開いた場所でした。
市の公式サイトの「哀史の里 吉野」に、町の歴史がありましたので転載させていただきます。

古代においては何と言っても、大海人皇子(後の天武天皇)が吉野に潜行され壬申の乱で兵を挙げられたことは有名です。時代が下ると源義経が兄頼朝の追捕を逃れて、愛妾静や弁慶などを伴って吉野に入りました。しばしの安らぎも束の間、吉野から逃れる際に別れざるを得なかった義経・静の悲恋の物語が残っています。さらに時代が下ると大塔宮護良親王が鎌倉幕府倒幕のために、河内の楠木正成と呼応して吉野を城塞化され、兵を挙げられます。また、建武の新政の夢破れられた後醍醐天皇が、吉野に朝廷を開かれたことは太平記に詳しく記されています。南朝四帝が吉野の地を頼みとされ、京都奪回のためにこの地から全国に号令を発せられたのです。この願いは遂に実現しませんでしたが、忠僧宗信法印をはじめ当時の吉野の人々は、我が身を顧みず終始、南朝のために尽くしたのです。

歌書よりも軍書に悲し吉野山 / 各務支考

このように吉野は中央で居所を失った人々、所謂アウトサイダー達が再起を図る場所といっても良いでしょう。その都度、吉野は戦場と化し、多くの命が失われ、悲しい別れが幾度と無く繰り返されたのです。 後に、太閤秀吉が5000人の家来を引き連れて大花見を行ったという記録もありますが、吉野は、そのような晴れがましい歴史より、哀しい歴史に思いを馳せたくなるような土地柄なのです。

http://www.town.yoshino.nara.jp/kanko-event/meisho-kanko/rekishi-bunka/

そして壬申の乱があったとされる吉野の宮は、国栖からたった5kmほどの場所「宮滝遺跡」あたりにあったとされます。
上記は、「奈良・吉野 ものづくりの里 国栖の里観光協会」のサイトの「国栖の里の歴史」のページの受け売りです。

このサイトにはこちらには他にも、古事記・日本書紀に国栖人の記載があることや、壬申の乱の頃にあったエピソードから国栖では今でも犬を飼わないといった興味深い話が載っています。よかったら、読んでみてくださいませ〜。

http://www.kuzunosato.jp/kankou/index.html

 

ゆりやんがピアノを弾くのを私が見たのは、「芸能界特技王決定戦TEPPEN」というテレビ番組でした。

2013年の情報では奈良県はピアノ保有率もナンバーワンで、それも過去数十年に渡って一位だったそうです。
奈良県は文化水準、教育レベルが高いので、大学進学率も高いと言われています。
2017年入試の卒業生数に対する東大・京大合格者の輩出率では奈良県がトップです。

ゆりやんのTEPPENの出演はピアノだけでなく、書道でも「優」という字を書いて優勝しています。

私は今年、奈良筆を購入して、2018年のベストバイだったとついこの前書いたところでした。
日本の筆の始まりは奈良県です。

また、ゆりやんの地元国栖は、ものづくりの里で特に紙漉きに歴史があります。
書道で美しい字が書けることは、無関係ではないかもしれません。

「吉野和紙は、大海人皇子が養蚕と共に村に伝えたのが始まりと言われています。明治中期頃までは、 国栖地区を中心に和紙の原料である楮が栽培され、国栖の約半数戸で和紙作りを行っていました。

http://www.kuzunosato.jp/syoukai/index.html

真面目な勉強家で多才なゆりやんについて、「歴史のある町から、私がイメージするステロタイプな奈良県民が出てきたなあ」という感想を持ち、興味深く思ってきました。

 

 

ところで、ゆりやんのお父さまも「ものづくり」の方です。
お勤めをやめてから、吉野町国栖でサンドブラストの工房を開いておられるそうです。

結婚祝い・引き出物・出産祝いや各種記念品などエッチング・サンドブラスト加工したギフト用品のエッチング幸房ソレイユ[奈良県吉野]
http://www.so-leil.com/index.html

サンドブラスト自体は、以前に定年退職のお祝いに入社年のワインに施していただき、選んで良かったと感じた経験があります。
ちょっと高価になるので、特にグループでのプレゼントにいいと思います。
次はソレイユさんでお願いしたら、「ゆりやんレトリィバァ」のお父さんが作ってくださったという付加価値で、お祝いの会もより盛り上がるのではと思います。

また、ゆりやんについては、記事に時々でてくるお祖父さまが一番気になります。
ゆりやんが子供の頃は、お祖父さまの方針で幼児言葉を一切使わなかったため言葉を覚えるのが早く国語が得意だったというエピソードや、お笑いの賞で優勝したときにもお祖父さまのことがお話にありました。

大好きだった祖父の口癖が『勝って兜(かぶと)の緒を締めよ』だったので、そういう気持ちでやっています」と、やや慎重な意見も。

まだ27歳という若さにしては、地に足がついているように感じられるが、「本来は、すぐに浮き足立ってしまう性格なので、気をつけないといけないなと注意しているんです。浮かれている人を見るのって、あまりいい気分しないじゃないですか」と胸の内を明かす。

https://www.google.com/amp/s/www.oricon.co.jp/news/2106796/amp/

上の記事では、ゆりやんの「調子乗っちゃって」のギャグの底に、自分を律したい気持ちがあったのかとも驚きました。
そこには、やはりお祖父さまの影響があるのかもしれません。どんな方なのか、知りたいと思っています。

 

 

また大きく話は変わりますが、先日のM-1では、和牛がまた優勝できませんでした。
私は和牛は好きでもなんでもありません。
私はM-1の決勝の漫才から結果発表までを見て、和牛に対して
「あなたたちはずっとM-1なんかの優勝はしないで、いつか人間国宝になってしまえばいいのよっ」
と思いました。
漫才の評価は好き好きですが、そのときの漫才の出来に私は素晴らしいと驚きました。

ゆりやんについても、私はファンなわけでもなく、実は普段から芸達者タイプは苦手なほうです(実は紺野ぶるまさんのファンです)。
それでも、ゆりやんはいつか人間国宝になったらいい人だと思います。
「いやだわ、センセイ」の昭和女優からドラえもんまでの振れ幅に、感動します。

ゆりやんには、これから辛いこともあっても、変わらず貪欲に頑張ってほしいと思います。

そして、いつかお父さま、お祖父さま、そして国栖で育った自分や国栖の里についての本を書いてほしいと思っています。
そのときは真っ先に買って読みたいと思っております。