谷中霊園の徳川慶喜公の墓所と寛永寺に行ってきました

先日、日暮里駅を通る機会があり、江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜公の墓所に行くことができました。
徳川慶喜公は、大政奉還で徳川幕府を終焉させた15代将軍として知られます。
いろいろあった後は、駿府で隠棲(現在の静岡県)、その後巣鴨へと移転しています。
学問・武道(特に手裏剣)に秀でており、駿府時代は趣味に没頭したとも言われています。
享年77歳で病没されました。

その日、布地の街を「あっ、布地が安くて有名なトマトがあっちにもこっちにもある!」などとキョロキョロしながら歩いていたら、日暮里駅に出ました。
階段を上がったら、とんがり屋根がある駅の出口がありました。

そのまま進むとすぐに、谷中霊園の入口でした。

徳川慶喜公の墓所へは、案内板に従ってしばらく歩くことで、容易に見つけることができました。

10人くらいの方が、墓所を見に来ておられました。

柵で囲まれた広いスペースの中に、慶喜公と奥方の同じ形の墓石があり、他と合わせて10の墓石があるとのことでした。
詳しい方が、いろいろと教えてくださって、大変参考になりました。
墓所の柵にある葵の御紋は、慶喜公逝去後に決まった専用の紋とのお話もお伺いしました。

しばらく歩くと、寛永寺がありました。
寛永寺は、三代将軍徳川家光が開基して、現在徳川歴代将軍15人のうち6人が眠るお寺です。
靴を脱いで本堂に上がることができました。
そこここにある葵の御紋に歴史の重みを感じて、神妙におまいりをいたしました。

再度外に出て靴を履き、私は寛永寺の五重塔を探しました。
前にブログに書いた、今はなき江戸城の屋根と同じという銅葺きの屋根を見たかったからです。

トーハク「TNM & TOPPAN ミュージアムシアター」でVR「江戸城の天守」を見てきました

しかしそれらしきものはなく、「五重塔があるのは旧寛永寺」ということに気づきました。
それはまた後日、上野に行くときに見に行きたいと思います。

そして「旧寛永寺」というキーワードから、「上野戦争」というものがあったことを知りました。
ここ最近、偶然立て続けに2回歩いた上野公園が以前は旧寛永寺の敷地であり、江戸で最初で最後の戦争があった場所と知って、驚きました。
江戸城は無血開城ときいていましたが、その代理戦争が上野で行われたそうです。たった一日の戦争ですが、多くの血が流れました。

歴史というのは、時間も場所も連続して繋がっているのだなあと感じます。
知らなければいけないことはとても多いのだと、あらためて意識しました。
また後日、調べてみたいと思います。
有意義な一日でありました。