【不完全燃焼】いよいよ親の家を片づける(その25)

前日のブログの続きです。
【番外編・急に半日空きました】いよいよ親の家を片づける(その24) | Andastar

この日は実家へ行って片付けです。
あさイチから夕方まで滞在しました。
結論としては、大したことをしませんでした。
出てきたものや、思ったことについて、またとぼちぼちと以下に書きたいと思います。

 

 

■今日は不燃ゴミの日
朝、私がゴミ袋を持って出ようとすると母が、
「そこのポットも捨てようかな」
と言い出しました。

前に「あれはなんだ」と聞いたら、
「薬草を煮出すのに使ってるのよ」
と言っていた白い素焼きのポットでした。

「使うなら無理に捨てなくてもいいのよ」
と私が言うと、
「まあ最近使ってないし」
と返事が帰ってきます。

「最後に使ったのはいつなの?」
と聞いたら
「何十年も前」
と言われました。

使ってないじゃんっ!

笑ってしまったことでした。

■ワーナーパイオニアのレコード
捨てそびれたシングルレコードを、不燃ごみと燃えるゴミに分けて捨てました。
このとき、さだまさしさんのレコードを見て思い出しました。

ワーナーパイオニアのシングルレコードって、レーベル部分の絵が「芋虫」だったよね…。

写真の掲載は控えます。
色味を抑えてある分、ショックは少ないですがやはりリアルなのでお嫌いな方には無理です。

洒落ていることには、ワーナーパイオニアの「LPレコード」のレーベルは、「蝶」だったのです。
もうレコードは捨ててしまったけれど、写真を撮っておけばよかったなあ、と思いました。

■捨てた本に挟んであったチラシやポストカードやチケット
売れないかなあと思ってとってありました。
少額で売れるかもしれませんが、その手間がかけられません。
写真に撮って捨てることにしました。

集英社文庫の小泉今日子さん。


キョンキョンと呼ぶのがふさわしい、キュートな笑顔です。

やはり集英社文庫で、松岡修造さん

やはり集英社文庫の阿部寛さん、新潮文庫の北野武さん。

集英社文庫は、人を見る目があるなあ。

吉田秋生さんの吉祥天女(多分)のポストカードも出てきました。


暑中見舞いにはコワイくて涼しくていいかもしれません。

カセットテープ用のカードです。時代を感じます。
イラストは田渕由美子さんと、もうお一人が思い出せません〜。


漫画雑誌の表紙の次辺りにあったページだと思います。

制服で行った記憶がある、ムンク展のチラシです。


1981年10月9日(金)〜11月23日(月)東京国立近代美術館。
表紙の絵はオスロのムンク美術館蔵の「病める子」です。
中はこんなでした。

先だっても日本でムンク展があり、
「こんなに貸し出して本家の美術館は大丈夫なのかしら?」
と思いましたが、ムンクは同じテーマの作品を何作も作っているから、問題ないのかなーとも感じました。

東京都庭園美術館のヤン・トーロップ展

一緒に行った人が、
「鉛筆一本でお金になっていいなあ。」
と言ったことが忘れられません。

■トレッシングペーパーが出てきました


大事に使っていた記憶があります。
もう使うことはないんだなあと思いながら、捨てました。

■まだ残してあるふとんのこと
父が買ったというふとんがあります。
私は、自宅のふとんを解体して中の綿のおぞましさを見ているので、捨てる方向に気持ちは傾いています。
母は、
「一度も使ってないからキレイなのよねえ」
と、捨てることに消極的です。
いずれにせよ残すなら私が使うはずなので、一回泊まって寝てみようかと思っています。

「ウチのほうの予備のふとんは今後レンタルにして、客用ふとんはもう買わないつもりなのよ」
と私が言うと母は、
「レンタルは他人が使うので気持ち悪いじゃないの」
と言います。
感じ方はそれぞれです。

まあ、残してあるふとんについては母の様子を見て、引っ越してから諦めてもらって捨ててもいいのだと思いました。
これもまた先送りです。

捨てるものを運ぶことで引っ越し費用が無駄であっても、母の気持ちを優先したほうがいい気がしました。

また、これからまた引っ越しモードで気持ちが熟して、今捨てられないものが来月には捨てられるかもしれません。
とにかく通うことに意義があるのではと、今思いました。

■写真の箱を開けました。
写真以外ですぐ廃棄できるものが入ってないことを確認して、また閉めました。
タメイキが出ます。
大きなコンテナ2つ分の写真があります。

かさばる元凶の、アルバムに貼ってしまった写真の表面には糊がついているだろうし、スキャンをするほどの情熱はないし。
バラの写真も大量にあります。

万一アルバムごとスキャンをするなら、今捨ててしまうつもりでいる自宅のプリンタは残したほうがいいことになります。
写真関連も、やはり先送りにします。

 

 

ところで、私は自分のハガキや手紙の処分をまだやっています。

これまでは、シュレッダーをかけながら過去の自分が恥ずかしいばかりでした。
しかし最近の作業中には
「それでも私は幸せだったんじゃないかしら」
と感じるようになりました。
最後に残ったのは、捨てるのを迷った大事な手紙やカードだから、余計にそう感じるのかもしれません。

片付けている荷物の中からは、人が撮って送ってくれた写真があちこちから大量に出てきました。
どれだけだらしないんだ(@_@)。
…というのは置いておいて。

あちこちで楽しそうに笑っている若い自分を見ると、自分が評価するほど悪い人生ではなかったのかしらと思います。
以前に人から聞いて語彙に加わった、
「まんざらでもないじゃないの」
という表現を思い出します。

もう一つ気づいたのは、手紙も写真も、今の私ならこんなに残らないということです。
眼にするのは、主に20代の写真です。
怖いもの知らずで、傷つくこととか恥をかくこととか気にせずに人の間に入って行った時期でした。
今の、臆病で傷つくのを避けている自分を思うと、ちょっと寂しいと感じます。

でも年齢相応ということもあるかしら。
犬だって、激しく動き回るのははじめの一年の子犬のうちだけです。
(この時期が可愛いんです!大変だけど)

この前、動物病院で犬の年齢について聞いたら、
「人間に換算するには、はじめの1年が20年。そのあとは4年をかけてください。」
と言われました。

老犬は生後一年以内の子犬と違って、そこいらじゅうを噛んでまわったりしないのであります。
若い頃を思い出して真似をする必要はないのでしょう。

そうなると、若いうちにいろんなことをしておきなさいという言葉が実感をもって腑に落ちます。
若い頃に閉じていたり、天井を作ったりしていたことは少し残念です。
もう過去は変わらないので、今後は(年齢相応に)前を向いていたいとも思いました。

 

 

また、話がふっとんでしまいました。
本日は、また不完全燃焼で終わった1日でした。

私の危機感と母の危機感は合っていません。
フェーズを合わせたいという気持ちがあります。

しかし母は過度なことが体調にダイレクトに響くようになっています。
食べ過ぎ、食べなさ過ぎ、過度な不安は厳禁です。
何回か「今、不安にさせたから具合が悪くなったかな」ということもありました。

細かいことは、様子見にしよう。
無理矢理に私の気持ちを押し付けないようにしよう。
意識して、それらを心がけようと思いました。

繰り返しになりますが、
物をいっぱい持って引っ越して、
「ほら、やっぱり入らないよね」
と目にしてから諦めてもらってもいいのです。

これだけ密に実家に来るのも引っ越しの間がピークです。
「楽しく過ごそう」
と初めて思ったのが、今回のブログの結論でした〜\(^o^)/。