【ピアノの思い出】いよいよ親の家を片づける(その4)

親の家を片づけることは、残している自分の荷物・過去を整理することでもあります。
四半世紀前も既に大人だった私が、何を思ったか1年ほどピアノを習ったことがあります。
今回の片付けで電子ピアノと楽譜を処分するにあたり、そのことを書いてみたいと思います。

はじめは、思い立って地元の音楽教室に顔を出しました。
ピアノを習おうと思った本当の理由は忘れました。「やってみたかった」程度だと思います。
先生は1歳年下の女性で、「なぜ習いたいのですか」とか「何を弾きたいですか」といった質問をされました。
ジョージ・ウィンストンの「あこがれ・愛」が弾きたいですと伝えたら、「その楽譜は彼の意向で絶版なので、もう入手できないんですよ」と言われて驚きました。
「あこがれ/愛」は、その頃美術館のCMでBGMになっていた曲です。

先生と話をして音楽教室に通うことを決めたあと、ちょうどそこにいた中学生の少女と一緒に退出しました。
すると外に出たときに彼女が「私楽譜を持っています」と言って、一緒にコンビニまで行ってくれてコピーをさせてくれました。
楽譜のコピーは今では厳しくなっていますが、当時はそんな時代ではありませんでした。
まだインターネットどころかパソコンも使っておらず、著作権について考えたこともありませんでした。
私はいまだに彼女にお礼をしなかったことが心に残っており、いい大人としてその場のコンビニで何か買ってあげるくらいのことをすればよかったのにと「ああもう」と恥ずかしくて叫びたくなります。

ジョージウィンストンの楽譜については、現在輸入版で入手できるものがあるそうです。
LONGING/LOVE(あこがれ/愛)を含む有名な曲が入っている楽譜だそうです。
George Winston Piano Solos (英語) ペーパーバック – 2007/10/15

 

習い始めて半年のころに、半年後に発表会に出ましょうと言われて練習をしました。
途中からは友人と一緒に習っていたので楽しくハリのある時間でした。

しかし実は私は、楽譜を読みながら弾いていませんでした。
指と指の間が3つ開いていたはず、といった覚え方をしていたので、発表会でわからなくなっても目の前の楽譜は役に立たないなあと困りました。
そのころにして既に物覚えは悪かったのです。

子供のころに読んだ星新一さんのエッセイに、「大人になってピアノを弾いても悲しいかな文章を打つのにキーボードをたたくのと同じように音楽は流れて消えていってしまう」というような文章がありました。
私のピアノの大人の手習いは、心に残っていたその星新一さんのエッセイを自ら実感した体験でした。

 

結局、始めてから1年後の発表会への参加を最後に、結婚を理由にピアノはやめました。
物事を続けないのは一度に一つのことしかできないと思っていたからで、もったいないことでした。
民謡を習ったときも1年ほどで仕事に集中したいとやめたことがあります。
私は次の何かに集中するためにリセットをする癖があると、最近わかりました。

 

ところで、大事な本を処分するにあたり何か挟んでないかを調べるためパラパラとページをめくっていたら、四半世紀だけ生きて亡くなった友人からのハガキが出てきました。

処分する予定だったその本は、残す本の棚に戻しました。
「あこがれ/愛」が好きなのよ、と言ったのは彼女でした。
そのエピソードと共に、彼女のお母さまへCDをお送りしたこともありました。
ピアノも、彼女に教えてもらった曲のことがなければやらなかったかもしれません。
人と接すること、話すこと、素直に話を聴くことの大事さを、これを書きながら再認識しました。

過去を整理する作業はまだまだ続きます。
今後に向けて、心も整理していきたいと思います。