柴田元幸/高橋源一郎 著「小説の読み方、書き方、訳し方」を読んでいます

こんにちわ。
今日のブログは、以下の本のご紹介です。

柴田元幸/高橋源一郎 著
「小説の読み方、書き方、訳し方」

この本を購入したきっかけは、5月9日の朝ふと目にした朝日新聞一面の小さなコラムの中の、翻訳家柴田元幸さんの文章でした。

ここに壁があってそこに一人しか乗れない踏み台がある。壁の向こうの庭で何か面白いことが起きていて、一人が登って下の子どもたちに向かって壁の向こうで何が起きているかを報告する

「小説の読み方、書き方、訳し方」序章「読む=書く=訳す」小説入門 から引用

新聞を切り抜くのを忘れたので正確でなくて申し訳ないですが、この本の記載からすれば上記の文章は
『柴田元幸さんが「翻訳する」という行為を視覚化したイメージ』
というように紹介されたものと思います。

この文章にやられてしまい、そのまま出先で電子書籍で購入したのがこの本でした。

 

 

ブログでご紹介したいと思いながら読んだところの感想を結論から言うと、
「私がご紹介するのはおこがましい」と思いました。

実はどの本の紹介もそうで、私が本について何かを書くことで1冊でも売上が減ったら申し訳ないところです。
理解力が小さな私のフィルターを通すことで、本の内容が誤解されてしまうのではと今回特に恐怖を感じました。

じゃあなぜ今回書くのかと言うと、いま手元でダウンロード済みで読んでブログを書けるのがこの本だけなのです。
無理をしてみました。スミマセン。

この本は、2009年3月刊行の
『柴田さんと高橋さんの「小説の読み方、書き方、訳し方」』を改題して2013年に発行されました。
電子書籍化は2016年です。
翻訳家の柴田さんと小説家の高橋さんの対談が中心になっています。

目次は以下の通りです。

目次 :
はじめに 高橋源一郎
序章 「読む=書く=訳す」小説入門
第1章 「小説の書き方」
第2章 「小説の訳し方」
第3章 「小説の読み方」海外文学篇
第4章 「小説の読み方」日本文学篇
おわりに 柴田元幸
解説 「読む、書く、訳す」はやはりつながっている 鴻巣友季子

実は読んでからしばらく経ってすっかり忘れてしまいました。
そして残っている印象は、

「もう何いってるんだかわからなくてクラクラする感じが気持ちいい」

ということだけでした。

私が生涯とうてい辿り着けない理解できないことを漏れ聞く機会をいただいた。
理解できそうで、出来るわけがない。
でも気持ちいいので、何回も読みたい。

まだ一回急いで読んだだけなのですが、そんな感じです。

その「感じ」は、私の高校時代で忘れられない、ほんの数分の出来事のデジャブのようでした。

体育館の扉の近くのグランドピアノの脇に、友人3~4人と一緒にいます。
ピアノをやっている友人に
「ねえねえ、今やってる曲弾いてよー」
と言ったら、素人のJKには理解不能な不協和音の曲を弾いてくれてビックリしました。
近くにバスケットボールがいっぱいの籠があったような。
その後早逝した友人も側にいたような。
部活をやっていない私が何故そんなところにいたのか。
夢だったかもしれない記憶です。
「道を突き詰めていく人にしか得られない『理解』がある」
と、ぼんやり受け止めた経験でした。

マンガしか読まない。
文字の本も翻訳物は特に苦手だと一切手を出さない。
そんな私にはこの本は何がなんだか。
でも、
「ステキっ!」
「そんな柴田さんが私は好きです!」
と興奮する箇所があって、解説の鴻巣友季子さんが仰る以下の言葉にも深く共感しました。

対談群の熱気とダイナミズムと面白さは一文字ずつ読むことで、じかに感じとってください。

私が柴田元幸さんの名前を知っていたのは、ゴーリーの絵本を訳しておられるからでした。
その柴田さんのご発言に強く惹かれた中のひとつが、以下です。

(前略)一方に原文のテキストがあって、もう一方に翻訳された本があるとしたら、その間にある僕を通過するのは早ければ早いほどいい、もうゼロに限りなく近ければ近いほどいいという思いはあります。そういう意味では自分がないほうがいいとか「私」というもの信用しないというのは、まったくその通りだろうと思いますね。

また、小説家の高橋さんは、この対話の中で「コード」という言葉を多用されます。
私はこの「コード」の意味がよくわからないままに最後のページまで突っ走ってしまいました。

改めてみてみると、
「約束事」「ルール」「プロトコル」といった意味で捉えればよかったみたいです。
「ドレスコード」という言葉が、ここでいう「コード」の理解の助けになるように思いました。

自分の中でのタブーとして絶対ダメな「コード」や、共通認識としての「コード」がある。
その「コード」が、翻訳はしても小説は書けない、小説を書いても詩は書けないことに大きく影響するということのようです。

さっきの柴田さんの文章を私が好きなのは、持っているコードの種類が似ていたのかなあと思いました(僭越!)。

 

 

私がこの本を読んで良かったのは、「わからない」ことがクラクラするほど面白かった以外に
「翻訳本を読んでみたい」と新たな興味が広がった思ことでした。
特に、アメリカ文学って何なんだろう。

そんなことを考えながらネットを探してたら、また柴田元幸先生の
「アメリカ文学のレッスン」
という本を見つけてしまいました。
次の楽しみにしたいです。

捨ててしまった日本の小説をあらためて買って読んでもみたいです。
あの日本語なのに読みにくかった文体の小説をもう一度読んでみたい。

したいことは雪だるまのように増えるのに、何もせず毎日が過ぎることに焦ってきた本日でした。

ああ、私の悪い癖だよー。
少しだけ反省して、今日のブログは終了でーす。