青山 佾 著「痛恨の江戸東京史」を読んでいます(その1)

こんにちわ。
今日はせねばならないことから逃げての現実逃避で、近くにあった紙の本で
青山 佾先生の「痛恨の江戸東京史」
を読んでしまいました。
せっかくなので、この本をご紹介いたします。

 

 

著者の青山 佾先生は、1999年から2003年は東京都副知事、現在は明治大学名誉教授その他多くのお仕事をされていらっしゃいます。
専門は、公式プロフィールから以下に転載させていただきます。

[専門] 自治体政策・都市政策・危機管理・日本史人物伝

この本は、そんな青山先生ならではの視点で浮かび上がる東京の歴史であり
「今度あそこを通ったら行ってみたい、よく見てみたい」
と思うような東京お散歩ガイドでもありました。

幕末の「官軍」が何かもわからないような私がご紹介とは申し訳ないと迷いました。
しかし巻末に「100字書評」という萌える切り取りページを見つけたので、
「じゃあ私は1000字書評!」
と考えて書くことにしました。

 

この本には、43の痛恨事が以下の5つの章に分かれています。

第一部 江戸篇
第二部 江戸から東京へー幕末篇
第三部 東京ー維新篇
第四部 東京ー戦前篇
第五部 東京ー戦後篇

この中で私が心が動いたことを、ピックアップしたいと思います。

◼️志、忠誠、律儀、多摩の農民
青山先生の本を読んでいると、歴史上には志のある人が多くいたのだと驚きます。
それだけ私は、物心ついてから長いこと失望をしていたのだろうとも気づきます。

勤勉で律儀な、八王子千人同心のみなさんの信頼される仕事ぶりと悲劇が語られる
「千人同心・石坂弥次右衛門切腹」。

律儀で果断で腕が立って、生きて日本のために活躍してくれていればと悔やまれる
「新撰組最後の隊長相馬主殿、謎の切腹死」。

何れも多摩の農民出身の2人の武士道を貫いた最期が書かれた
「新撰組隊長近藤勇はなぜ官軍に出頭して刑死したのか」
「土方歳三、箱館戦争で突進死」。

にわか武蔵野ファンの私は、
「ここでも武蔵野エリア!」
と、ちょっとテンションが上がりました。

上記はごく一部で、この本で語られる多くの人は志がある人たちです。

「日本初の地方自治法制定を推進した大久保利通、暗殺さる」
の章の大久保利通は、死の少し前にも
「これからは民産を殖するべき」
とこれから先への意欲を語っていました。
私腹を肥やさない人だったので、家族に残ったのは借財だったそうです。

これを読んで私は、富国強兵は一緒ではないことや富国と強兵のバランスは歴史のなかで変わっていったのだと知りました。
そして見る角度から変わる歴史の光と影を、あらためて感じました。

◼️大将、側近、現場の指揮官
前述の、
「多摩の農民出身の武士道が、身の処し方が立派」
とこの本で表現される一方で、名門の武士道が比較されていました。
薩長連合対旧幕府軍の鳥羽伏見の戦争では、戦いの最中に旧幕府軍総大将の徳川慶喜公が会津藩主松平容保と江戸に戻ってしまいます。
夜が明けて真実を知った現場は驚き、敗走を始め、会津藩は負傷者を連れて江戸に戻ります。
(上記は「徳川慶喜、鳥羽伏見の戦争中に梯子を外して江戸に帰る」の章を参考)

上記はひとりの大将のエピソードであります。
それはそれとして、話は変わって。

「殖産興業路線の黒田清隆、政局の主導権を握れず」
の章で青山先生は、

大将のために戦うか、大義のために戦うか。
側近は大将の個人的利益におもねるので、大将がやめたら世の中の役には立たない。
しかし現場の指揮官は世の中の役に立つ。

といった内容のことを仰っています。

この章でフォーカスしているのが、まさに現場指揮官の黒田清隆です。
彼は自分の頭を丸めてまでして、箱館戦争での敵の総大将だった榎本武揚の助命に奔走します。

榎本武揚は政治家ではなくテクノクラート(技術官僚)で、箱館戦争は旗本たちの生活を守るための戦いでした。
戦のときに函館五稜郭で砲弾を撃ち込まれ覚悟した榎本武揚は、なんと敵である黒田清隆に国際法の書物を送ったのです。

これに榎本の
「日本に一冊しかないものです。これからの日本に必ず必要となるものです。灰塵に帰するのは惜しいので、新政府に差し上げます。お使いください」
という手紙が添えられていた。
(中略)
感激した黒田は、
「日本語に訳して天下に公布します」
という手紙を添えて、酒と肴を落城寸前の城中に贈る。

「痛恨の江戸東京史」同章から引用

戦のあと、榎本武揚は切腹をしようとするも部下が指を3本飛ばして短刀を取り上げて未遂に終わります。

黒田清隆は現場の指揮官なので、かつて敵であった榎本が日本のために役に立つ人間だとただ一人理解していました。
タイミングが良かったこともあり榎本は助命されました。
その期待に応えるようにいくつもの大きな仕事をしたそうです。

この話はこの本では、榎本武揚、黒田清隆それぞれの角度から出てきます。
私も好きなエピソードです。
激動の中、大将や自分の命の先に日本の国の行く末を見ている、そういう人たちがいたのですね。

◼️銅像のこと
この本には、銅像の話がいくつか出てきます。
そのなかで私が一番好きなのが、前述の榎本武揚の銅像の話です。

榎本の住居跡がある向島の近くの公園には、榎本の銅像があるそうです。

山崎昇墨田区長の話では、
「函館からこの銅像を下さいという話もあったが、大切な銅像なので丁重にお断りした経緯があります」
とのことである。
北海道では、旧幕府軍の総大将として最後まで戦った榎本武揚を尊敬する人が多い。

「痛恨の江戸東京史」同章から引用

今も尊敬されているのです。
いい話だなあと、ほっこりしました。

ほかに、勝海舟の銅像の場所について、青山先生が仰るご感想も素敵です。
いつか世の中が落ち着いたら、両方の銅像を見に行きたいものです。

 

 

さて、タイトルではなぜ「痛恨」なのでしょうか。
私が感じるには、リーダーシップも実務能力もコミュニケーション能力もある人材が、夭折、早逝していることです。
戦が終われば、これからの日本のためには敵も味方もなかった。
自分だけが栄えればいい小人が、貴重な人材を闇に葬った。
…痛恨です。

…私は歴史の素養もなくいつにも増して感想が薄っぺらく
「転記しただけじゃん」
みたいなご紹介になって恐縮です。

今回のブログでは主に歴史のことだけでいっぱいになってしまいましたが、まだ別の角度からご紹介したいことがあるので(その1)にしました。
近々に(その2)も書きたいです~(^_^ゞ。

充実した一日でした。
やっぱり、紙の本もいいね!