赤坂憲雄著「武蔵野をよむ」を読んでいます(その1)

こんにちわ!
前回ブログで、「子守り唄の誕生」という本をご紹介しました。

【赤坂憲雄著「子守り唄の誕生」を読みました(1)】おかあさんといっしょ(その3)

本を読み終えて、赤坂先生のそのスタンスになんとなく好感を持ちました(僭越)。
ほかには、どんな本があるんだろう?
そして検索して出てきたのが、
今回紹介する「武蔵野をよむ」でした。

岩波新書
武蔵野をよむ
著者 赤坂憲雄
2018年10月19日 第1刷発行

「武蔵」、とか「武蔵野」、というキーワードは、ここ1年の間に箱根ヶ崎や府中に遊びに行ってから気になる言葉です。
この本の中心になる「武蔵野」自体は国木田独歩の短い作品と知りましたので、青空文庫ですぐに読んでみました。

‥うーん こういう文学もあるのね。
淡々と武蔵野の情景を綴っているという印象よね。
あんなに有名で歴史のある大國魂神社も出てこないのね。
この作品を精読する本かあ。どうしようかなあ。

そう考えて本の購入をしばらく先送りにしていたら、Amazonで取り急ぎ求めた物が2000円に満たなくて何かを追加する必要がありました。
そこで咄嗟に追加したのがこの本でした。

届いて読み始めたら面白かったので、山田うどんにも持って行き、一人で肉汁うどんを食べながら読んだりして、一気にざっくり読み終えました。

セットです。食べ過ぎ!

 

 

結論としては。
「武蔵野をよむ」を読んでから「武蔵野」を再読してみたら、国木田独歩の「武蔵野」は第一印象とまるで違って、私にとって面白い作品になってしまいました。
子供の頃に、国語の授業を受けた後の教科書の作品が特別になった時のようだと、懐かしく思い出しました。

今回、赤坂憲雄先生の「武蔵野をよむ」を読み終えて参考に読んでみたのが、以下の電子書籍です。

集英社ebookオリジナル
文芸漫談 国木田独歩『武蔵野』を読む
奥泉光×いとうせいこう
2017年4月30日発行
雑誌初出「すばる」2010年5月号
トークライブ 於 2010年1月22日に成城ホール

この中で奥泉先生から出たお話を引用させていただきます。

このあいだ、大学で『武蔵野』を学生諸君に読ませたら、面白いことを言うやつがいて……。感想を聞くと、「で? って感じっスね」って(笑)。

まさに私も、国木田独歩の「武蔵野」について、そういう感じでした。
つらつらと自然の説明などをされて、感情移入できるところもなく、
「短くて、あっという間に終わってよかったな」
とほっとしたのでした。

それが面白くなったのは、赤坂先生の「武蔵野をよむ」によって、独歩の「武蔵野」のバックにあったストーリーや武蔵野について、知ることができたからです。

独歩の「武蔵野」の淡々とした文章で表現される情景に接したときの独歩の気持ちは、実は愛する女性に去られて狂おしく荒れていたのでした。
本で紹介される「欺かざるの記」という独歩の日記の文章を読むと、同じときのことが「武蔵野」では冷静な筆致で表現されており驚きました。

「武蔵野」は、独歩が見聞きし感じたそのシチュエーションを、注意深く、不純物を排除して、蒸留した作品なのかもと感じました。

また、先の奥泉先生といとうせいこうさんのトークで印象深かったのが、「武蔵野」で独歩は「言文一致体」を導入したことが新しい試みだということでした。
同じ「武蔵野」という作品を語った
・国木田独歩『武蔵野』を読む
・武蔵野をよむ

の2つの本で、印象に残ることが全く違うことも、私には興味深いことでした。
赤坂憲雄先生が気になって今回私が2冊目を追いかけたのは、その叙情性に惹かれたのかもしれません。

 

さて、当初交際を反対される彼女と住もうと行ってみた北海道で独歩は、非情な原始林の威力に打ちのめされたように思えます。
人の介在がない北海道の原始林に対して、武蔵野の雑木林はさぞかし優しかったことでしょう。

また、それが「里山」というものなのかと、私も気づかされました。
「里山」は、最近耳にはしていたものの、自分のなかで上滑っていたキーワードでした。

里山とは、人が手入れをする山なのですね。

サードプレイスとして特定の土地と関わりを持ちたい人に、ボランティアで雑木林の伐採などをしに来てもらうという里山プロジェクトを見たことがあります。

武蔵野は、人のコピーを借りればまさに、長い時間
「自然とひととが折り合って」た土地でした。
すごいことです。

独歩の「武蔵野」に戻ると、
時間軸からは、
昔の詩歌から知ることができる武蔵野(薄野)、
独歩の知る、知らない、今の武蔵野(雑木林)、
これから変わる武蔵野(予感)、
を読みとることができます。

場所については、
どこからどこまでが武蔵野だと独歩が思うのかを、友人の言(手紙の引用)を借りて自分もその通りだと言っています。

僕の武蔵野の範囲の中には東京がある。しかしこれはむろん省かなくてはならぬ、なぜならば(…中略…)このようなわけで東京はかならず武蔵野から抹殺せねばならぬ

けれど、亀戸あたりは武蔵野でいいらしいです。

また東のほうの平面を考えられよ。これはあまりに開けて水田が多くて地平線がすこし低いゆえ、除外せられそうなれどやはり武蔵野に相違ない。亀井戸の金糸堀のあたりから木下川辺へかけて、水田と立木と茅屋とが趣をなしているぐあいは武蔵野の一領分である。

あら、そうなのね(*´▽`*)。

武蔵野というところは、今も昔もずいぶんと特別なのだなあと私は思うのです。

 

 

ところで、武蔵野で何が重要かといえば、水らしいです。
そして、その水脈の話で出てくるのが「玉川上水」です。
私は「武蔵野をよむ」の途中からずっと、森田童子の歌を頭で歌いながら読んでいました。

玉川上水沿いに歩くと~
太宰の好きな君は睡眠薬飲んだ~

あ、歌詞がとんでる。
そこしか覚えていないので仕方ない。

調べると正しくは、

玉川上水沿いに歩くと
君の小さなアパートがあった
夏には窓に竹の葉が揺れて
太宰の好きな君は睡眠薬飲んだ

でした。

好きだった、亡き森田童子さんが歌ったのはどんな情景だったのか、玉川上水を歩いてみたいとふと思いました。

 

 

赤坂先生の「武蔵野をよむ」のタイトルは、このとおり「武蔵野」にカッコがないのです。
そして、読む、ではなくて、よむ、なのですね。
そこにも何か意味があると思います。

国木田独歩の作品の精読でありながら、赤坂先生の武蔵野学の始まりの本です。

私にはうまく紹介できませんでしたが、この本のおかげで独歩の「武蔵野」を面白く感じることができ、「武蔵野ってなに」ということに興味が持てるようになりました。
ちょうど映画「翔んで埼玉」も見たので、一層気持ちが近くなっているところでもあります。

「武蔵野をよむ」は密度が濃い本なのに今回介在した私にキャパがなかったため、このブログも(その1)とさせていただき継続したいと思います。

また、思い立ったらご紹介させてください。
そしてこの本も、オススメですー!