【赤坂憲雄著「子守り唄の誕生」を読みました(1)】おかあさんといっしょ(その3)

こんにちわ!
最近私は、時間があると入院中の母を見舞うようにしています。
そんななか、母の昔の話を聞いていたときに驚愕しました。

母が子供の頃、子守りのお姉さんに見てもらっていたというのです( ゚Д゚)。

母からは「自分は苦労してきた」とだけ聞いていましたので、産まれ育った家が人を雇って子守りをしてもらうことが出来る程度に裕福だったというのは意外な話でした。
守り子さんは近くのエリアから住み込みで来ていた方で、母は名前も覚えているのです。

えええええ?
リアル五木の子守唄?
(熊本内でもエリアは少し違いますが)
あの切ない歌が、そんなに身近な話なの?

ということで、家に帰ってすぐ中古で取り寄せたのが、以下の本です。

講談社現代新書
子守り唄の誕生 五木の子守唄をめぐる精神史
赤坂憲雄 著
1994年2月20日 第一刷発行

今回は、この本を読んだ感想について書きたいと思います。
なお、五木の子守唄ってなんだっけ、という疑問には、以下のページをご紹介しておきますね。
五木村-五木の子守唄 歌詞の意味

 

 

さて、民族学者の赤坂憲雄先生による「子守り唄の誕生」の本の冒頭では、
「赤とんぼ」
の歌詞が紹介されます。

「赤とんぼ」の主人公が赤とんぼを見た日に彼か彼女かを背負っていたのは、15で嫁に行っていつしかお里の便りも涸れ果てた、「ネエヤ」でした。
そのネエヤの日々を、今残っている子守唄から追います。

ネエヤにはネエヤ仲間がいて、
嫌いなネエヤ仲間(?)もいて、
会いたい親を思い、
親の死を思い、
他人の家でご飯も美味しく感じず、
他人の家で初潮を迎えて、
もしかすると好きでもない男につきまとわれたりもして、
恋もして、
人の噂に耐え、
ちょっと年がいくとお役御免になって、
でも家にも帰れない。

背負う子は重く、疲れるし、
泣くし、泣かせてると怒られるから憎いし、
でも怪我でもさせたら大変なことだし。

ネエヤ自体がまだまだ遊びたい盛りの子供なのに、そんな大人の世界を背負わされます。
背負われる子になるか、背負う側になるか。
その不条理を子供のうちに知るのです。

子守唄は主に子供を寝かせるためにあるはずですが、守り子たちが自分のためにうたう歌が全国にあるそうです。
その中の、熊本県五木地方の子守唄にまつわる話を多く取り上げている本です。

実際にはこんなに平たい内容ではなく、多くの文献を元にした深い内容の本です。
守り子の父は誰か、など、驚くような章もあります。
今後も何度も読んで、いつかまたここで紹介できればと思い、今回のタイトルは
【赤坂憲雄著「子守り唄の誕生」を読みました(1)
と、ブログを未完にしてみました。

紹介される子守唄のなかで、私が主観で気になったのは、以下の唄でした。

こん子よう泣く ヒバリかヒヨか
鳥じゃござらぬ  人の子よ

達観、俯瞰、皮肉。
私は読んで吹き出したものの、守り子本人の背中には、子の重さ、おしっこ、うんち、子の親からのプレッシャーがかかります。
表面の字面を読んで私が面白いと感じるような、単純なことではありません。

他に、こんな唄もあります。

奥さんだんなさん よう聞きなされ
守りにな けんどすりゃ 子にさわる

守りはにくいとて、破れ傘さゝしゃ
可愛我が子に、雨かゝる

大昔も今も変わらない以下の真理を、子供である守り子たちが唄い、今も残っているのです。

ESなくして、CSなし。
(従業員満足なくして、顧客満足なし)

私は斜に構えて読んでいるのかこんなところが気になりますが、全編で思うのは、やはり子供にして大人にならざるを得なかった少女たちの気持ちです。

しかし、私が感じるこの本の読後感の爽やかさは、終章の「宇目の唄げんか」の紹介によります。

宇目は、大分県南部の町です。
唄げんかは、夕闇のなか守り子たちか子守り奉公の憤り、憎しみ、悲しさを掛け合い形式で唄い、それぞれに群れが加勢することもあり、最後には双方共感の流れになるケースもあるそうです。

その光景を想像して、ひとつの稀有な文化を担った守り子さんたちを思い、最後に明るい気持ちになれました。

 

 

さて、この本を一気に(ざっくりと)読み終わった私は、この本がどう読まれているのかが気になって、ネットで検索してみました。
そこである記事に出会い、私はまた驚愕します。

「かぐや姫の物語」高畑勲監督が、このかぐや姫の製作に入る前に入念な調査をしていたのが、この「子守り唄の誕生」をベースとしたアニメ化の企画だったのです。

結局この企画は、調査に14ヶ月、400日以上を費やしてお蔵入りになります。
魅力的なエピソードはあれども、商業映画としての枠組みにどう入れるのか、どういうストーリーにするのか、難しすぎる、できない、という結論でした。

上記はかなり端折っての説明ですので、詳細は以下のリンクからご確認いただければ幸いです。

おすすめは、第21回~第25回までの5つのブログです。

<悲惨日誌 第21回> 子守唄、始動。 : スタジオポノック

から

<悲惨日誌 第25回> 田辺キャラクター : スタジオポノック

まで。

守り子の少女や、背負われる赤ん坊の絵柄を想像すると、アニメを見てみたかったと思います。
そして実現が難しいかったことも、こうして自分が感想を書こうとするなかで、僭越ながら少しだけわかるような気がしました。
映画として、どんなメッセージを伝えることができたのか。
それを考えると、ただ切ないのです。

 

 

母をおぶっていた守り子さんは、もしや今もお元気かもしれないし、可能性としてはその望みは低いかもしれません。

幸せが何なのかもわからない私が、自分のことも棚に上げて、会ったことのないその方の人生が幸せであったことを祈りました。

また、全国の多くの守り子さんたちを思いました。
暗いばかりではなく、やさしいだんなさん奥さんに可愛がられた守り子さんもいたことでしょう。
しかし多くは、親から離れて辛い思いをしたことでしょう。

子供たちにとっての悲しい時代は、そんなに遠いことではなかったことに驚くことになった、思いがけない母のエピソードからの、本との繋がりの話でした。

そしてこの本、おすすめです!